<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rdf:RDF xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/" xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/" xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/">
  <channel rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp">
    <title>とわブログ | とわの森三愛高等学校</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/modules/blog/diarylist.php</link>
    <description/>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-02-21T23:33:07+09:00</dc:date>
    <items>
      <rdf:Seq>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-259.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-258.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-257.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-256.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-255.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-254.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-253.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-252.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-251.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-250.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-249.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-248.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-247.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-246.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-245.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-244.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-243.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-242.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-240.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-239.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-238.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-236.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-235.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-237.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-241.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-234.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-233.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-232.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-231.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-230.html"/>
      </rdf:Seq>
    </items>
  </channel>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-259.html">
    <title>学校礼拝（第４２回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-259.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」&lt;br /&gt;( ルカによる福音書　１０章37節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自分自身を見つめなおしてみよう」（肥田　信長　宗教主任）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　相談室に相談をする人の中で最近増えてきているのは、友達同士の悩みです。まもなく学年が変わるという時には、クラスも変わるので、友達の悩みが増えてくるのかもしれません。自分の中の良い人と同じクラスになることができるかというのも、きっと大きな悩みのひとつではないでしょうか。&lt;br /&gt;　悩みの中には、「許したいと思っていたけれど、許すことができない」というものもありました。自分に対して嫌がらせをしてきたり、裏切った人を許すということはなかなかできないのかもしれません。&lt;br /&gt;　今日の聖書の中には、2つの大切なことが書かれています。①隣人を愛することの大切さについて。②隣人になることの大切さについて。その２点です。隣人とは、自分の周りにいる全ての人々のことです。自分の仲の良い人のことは大切にしても、自分の仲の悪い人のことはどうでも良いのでは。と感じてしまうこともあります。自分の仲の悪い人も“隣人のひとり”なのです。&lt;br /&gt;　あの人は嫌いだ！とか、許したくない！思う人もいるかもしれませんが、その嫌いだであるとか許したくないと思う原因を見つめてみると、自分自身にも同じような嫌な部分はないでしょうか。嫌だと思う人にも、見習わなければならない良い部分がきっといくつかあるはずです。また、学ぶべきこともあるはずです。その学びを行動に移すことで、今まで以上にたくさんの人の隣人となることができ、魅力のある人として成長していくことができるのです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-02-22T08:33:07+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-258.html">
    <title>学校礼拝（第４１回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-258.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」&lt;br /&gt;（ローマの信徒への手紙１章16節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「国のために」あるいは「神のために」&lt;br /&gt;～　88年前のオリンピック　～&lt;br /&gt;（ 高橋　　一　酪農学園大学教授）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年はロンドン・オリンピックが開催される年です。ただオリンピックには本来の目的と異なり、国家と国家の威信をかけた競技という側面が残念ながら今もあります。そのため国家の指導者は、オリンピックを自らの地位と自国の権威づけのために歴史的に利用してきました。事実1936年のベルリン・オリンピックは、政権を奪ったばかりのアドルフ・ヒトラー総統によるナチス・ドイツの国威発揚の格好の舞台となったのです。&lt;br /&gt;　しかしオリンピック出場選手の中で、「国家の威信」よりも「自らの信仰」を優先した人がいました。それが1924年の第11回パリ・オリンピックに、100ｍ走のイギリス代表選手として出場したエリック・リデル（Eric Liddell）という人です。当時、イギリスの スコットランドの大学生でした。何と彼はその100ｍ走の予選に出場することを拒否したのです。この出来事は英国では大論争を巻き起こし、金メダルの有力候補であったエリックは結局、400ｍ走に出場種目を変更して出場します。その結果はどうだったでしょうか。またエリックはなぜ100ｍ走の予選に出ないという破天荒な決断をしたのでしょうか。映画「炎のランナー」の一部をご紹介しながら、そのエリックの生き方から学んでみたいと思います。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-02-13T10:17:22+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-257.html">
    <title>学校礼拝（第４０回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-257.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。&lt;br /&gt;（フィリピの信徒への手紙２章3～4節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 思いを一つにして 」（榮　  忍　学校長）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　3年生が自宅学習に入り、2月はいろんな意味で変化を受け止める月になります。進級し、新たな学年になるのは4月のことですが、今、すでにその準備は始まり、自覚が求められています。自分自身をしっかり見つめてください。&lt;br /&gt;　さて、今朝の聖書は、パウロがフィリピの教会に集う人々に宛てて、獄中から書いた手紙の一節です。初代の教会について考えると、現代のような電信技術はもちろん無いわけですから、遠距離における意思伝達意見交換の困難さはどれほどのものでしょう。それでも、長い時間をかけて、より良いあり方を追求して指導を求める者がいて、それに応える関わりがあることに注目したいと思います。&lt;br /&gt;　初代の教会は、それまで耳にしたことの無い「この世に生きた神」「罪を裁くのでなく、赦しを与える神」「神であるはずの方が処刑され、復活の姿が示された」等々を受け止めながらも、追求を続けざるをえなかったのです。新たなメッセージを受け止めて、ではどのように生きていけば良いのか、考えたのです。&lt;br /&gt;　パウロの応えは「キリストを模範とせよ」というものでした。しかも、自分を捨て他者のため、使命の前に謙るのです。現代日本は「自己実現」を求めます。時には、その過程で他者を突き放し、蹴落としているかもしれませんが、そこに目を留めていては「負ける」と教えています。聖書の教える生き方に、わたしたちはどこまで耳を傾けられるでしょう。「思いを一つにして」共に取り組める道を見極めましょう。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-02-06T08:49:26+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-256.html">
    <title>学校礼拝（第３９回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-256.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 この方（キリスト）こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。 」　&lt;br /&gt;（ヨハネの手紙Ⅰ　２章2節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 十字架の意味 」（渡辺　淳　先生）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　使徒パウロは、最も大切な事柄は、「イエス・キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」であると言っています。今日はイエス・キリストの十字架上での死について、その意味を改めで考えてみたいと思います。&lt;br /&gt;　１.イエスの死は歴史的な事実であった!?&lt;br /&gt;聖書に書いてある事柄は、信仰を持った弟子たちが書いたのだから、イエスが本当に実在して十字架にかかったかどうかはわからない、と言う人がいます。確かに過去の事柄を証明することは難しいものです。しかし、聖書以外にもイエスの十字架の死について述べられていることや、その影響力の大きさを考えるとき、十字架は事実であったと言えるでしょう。&lt;br /&gt;　２.イエスの十字架は旧約聖書で預言されていた!?&lt;br /&gt;　上記のパウロの言葉にもあるように、イエスの十字架上の死は旧約聖書において預言されていたと解釈されています。真偽のほどは別として、聖書の中で十字架は特別な位置づけがなされているということです。&lt;br /&gt;　３.イエスの十字架上での死はわたしたちの罪を償うためであった!?&lt;br /&gt;キリスト教の教えの本質は、イエスの死は、すべての人間の罪を償うためであり、そのことを心から信ずるものは、どんな罪でも赦され、永遠の命を持つ、と言うものです。そして、このことこそ福音（良い知らせ）だと教えています。この教えは、あまりにもおめでたく聞こえ、そんなことがあるだろうか、と思いたくなるかもしれませんが、多くの人々に支持されてきたものです。これを機会に、十字架の意味について真剣に考えてみてはどうでしょうか。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-01-30T09:13:35+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-255.html">
    <title>2012年推薦・単願・専願合格発表</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-255.html</link>
    <description>本日9時に推薦・単願・専願入試の合格者を発表しました。&lt;br /&gt;発表時の気温が氷点下17度と厳しい寒さの中ではありましたが、玄関前の掲示板には、たくさんの受験生と保護者の方が来ています。</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-01-27T09:10:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-254.html">
    <title>学校礼拝（第３８回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-254.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身を全ての人の良心にゆだねます。 」　&lt;br /&gt;（コリントの信徒への手紙Ⅱ　４章2節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 心に刻む良心 」（肥田　信長　宗教主任）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日の聖書の中には、なかなか聞きなれない言葉が出てきます。“良心”という言葉です。私自身はこの“良心”という言葉を中学１年生の時に初めて知り、そして学びはじめました。&lt;br /&gt;　私は、中学校から大学院まで同志社で学びました。その同志社の建学の精神は、創立者である新島襄の『良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ』という言葉です。この言葉は、勉強だけではなく、全身からわき上がってくる良心を周りに流されることなく行動に移せる人物を育てたいとの強い思いを感じます。&lt;br /&gt;　新島襄は、同志社という学校をどのような学校にしていきたいかという事を次のように述べています。『我が校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、實業（実業）家になるもよし、教育家になるもよし、文學者になるもよし。かつ少々角あるも可、奇骨あるも可、ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟くも姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み偏に希ふ（願う）ところである。』その新島襄は、122年前の1890年1月23日に、現在の神奈川県で亡くなります。&lt;br /&gt;　私たちは、神さまがチャンスを与えて下さった中でこの世に命が与えられています。そして、一人ひとりにピッタリの異なった賜物を与えて下さっています。その賜物をどのように使っていくのかを自分の心に刻んだ良心に照らし合わせてみながら、安逸を貪らない生き方を探し求めて生きたいものです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-01-23T10:40:19+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-253.html">
    <title>学校礼拝（第３７回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-253.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです。 」　&lt;br /&gt;（コリントの信徒への手紙Ⅰ　１２章26節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「みんな大切」　（浅居　正信　先生）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　コリントの手紙を書いたパウロは、「体にいろいろな部分があるように、社会にもいろいろな部分がある」と言います。部分が集まってやっとひとつの体として成り立つように、人間が集まって社会が構成されます。体の部分がそれぞれに大事なように、家族やクラスや学校や社会や世界の中の人間もそれぞれが大切なひとりひとりなのです。&lt;br /&gt;　私たちの周りにはいろいろな人がいます。みんな違う、みんなが同じではないのです。みんながそれぞれに違っている、けれども違っていながらひとつの体を形作っているのです。「違っているから私は別の体である、違っているから同じ社会の世界の中の一員ではない」とは言えないといいます。違っていていいのです。違っていないと体として成り立たない、社会としても成り立たないのではないでしょうか。&lt;br /&gt;　私なんて、あの人のように立派なことができない、能力もない、役に立たないという人がいます。でもパウロは誰に向かっても「お前は要らない」とは言えないといいます。他よりも弱く見える部分が必要だと言います。あってもなくてもどうでもいいような者はいません。この世の価値観や人間的に見て、必要ないと思えるような人こそが必要なんだ、と私たちに聖書は伝えます。&lt;br /&gt;　みんな大切なひとりひとりであるという発想で、共に苦しみ、共に喜んで、ひとつひとつの部分が、お互いに不足分を補い合い、支え合い、社会を形成していこうと促しています。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-01-16T09:42:17+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-252.html">
    <title>学校礼拝（第３６回）～冬休み明け礼拝～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-252.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 悔い改めにふさわしい実を結べ。 」　&lt;br /&gt;（ マタイによる福音書　３章８節 ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「　先駆けの声　」（榮 　 忍　学校長）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　新しい年2012年が始まりました。成長の途上にある生徒諸君の目標はどのようなものでしょう？&lt;br /&gt;　学校にもその年その年の課題があります。わたしたちが今見つめているのは、いよいよコース制が完成する、と言うことです。それは、形が整うことと共に、内実が問われることを意味します。&lt;br /&gt;　クリスマスを祝って冬休みに入りました。「救い主イエスの誕生」として伝えられる様々なエピソードを味わいましたが、イエスの活動は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときからとされており、その年齢は「およそ30才」（ルカ3：23）と記されています。その、洗礼者ヨハネもクリスマス物語の一部に登場しており、マリアの親戚に当たるエリサベトが高齢で与えられた子となっています。ヨハネが引き金の役割を果たし、イエスに繋がっていくルカの構成が見えてきます。&lt;br /&gt;　ヨハネの活動は「洗礼運動」と称しても良いでしょう。罪を悔い改め、ヨルダン川の水に流し、心機一転生き直すことを始めよう、と言うものです。単純ですし、決意さえあれば良いのです。大勢の反応を得た様子が描かれています。&lt;br /&gt;　ところが、悔い改めの必要を感じているわけではなく、まあ良いことならやっておいて損は無いだろう、くらいの受け止めでやってきた者たちがいたのです。ヨハネは憤り、彼らを非難します。問われているのは、生き方でした。その根本を見直すつもりが無いのであれば、何が結果として残るでしょう。&lt;br /&gt;　わたしたちもまた、この聖書の言葉から、自分の生き方が問われるときには、その内実が形となって表に出てくるものであることを忘れてはならないのです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2012-01-12T10:06:24+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-251.html">
    <title>学校礼拝（第３５回）～クリスマス礼拝～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-251.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 いと高きところには栄光、神にあれ、&lt;br /&gt;地には平和、御心に適う人にあれ。 」　&lt;br /&gt;（ ルカによる福音書　２章14節 ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 最初のクリスマス 」（肥田　信長　宗教主任）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最初のクリスマス。それは苦しみを抱え、苦しさの中に希望の光として、この世にイエス・キリストがお生まれになったことをお祝いする日でした。&lt;br /&gt;　その誕生は、父ヨセフと母マリアが、皇帝の命令によって住民登録をするために、旅行している最中に突然やってきます。ヨセフは、何とか安心してマリアが出産できる場所はないかと探し回りました。しかし、どこの宿屋（ホテル）も満室で、泊まる場所をどれだけ探しても見つかりません。やっとの思いで探すことができた場所が、宿の裏手にあった動物を休ませる馬小屋だったのです。その場所でマリアは出産します。&lt;br /&gt;　出産した喜びは神さまの使いである天使が、真っ先に社会の中で弱い立場だった羊飼いたちに伝えられます。そして、その羊飼いたちが幼子イエスの最初の訪問者となりました。&lt;br /&gt;　弱い立場の人に、真っ先にイエス誕生の喜びが伝えられました。そしてその喜びを分かち合うために羊飼い達は、人々に知らせました。私たちもその喜びを自分のものだけにせず、たくさんの方々とクリスマスの喜びを分かち合っていきたいものです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-12-22T10:07:38+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-250.html">
    <title>学校礼拝（第３４回）～アドベント礼拝Ⅲ～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-250.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」&lt;br /&gt;（ルカによる福音書　2章6～7節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 飼い葉桶のこころ 」（池田　淳郎　先生）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イエスの誕生は、実は生まれる前から神さまが示してきていました。&lt;br /&gt;・神様から与えられる救い主である（イザヤ6:5）&lt;br /&gt;・処女から生まれる（イザヤ7:14）&lt;br /&gt;・ベツレヘムで生まれる（ミカ5:1）&lt;br /&gt;・ダビデの子孫として生まれる（イザヤ11:1）&lt;br /&gt;　これらはことごとく成就（その通りになること）します。今日の聖書では、イエスの両親が住んでいた地域を支配していたローマ皇帝から、住民登録のために自分の故郷に戻るように命令が下ったため、ダビデの子孫であった父ヨセフは、まだ許婚でありながら妊娠したマリアを連れて、故郷ベツレヘムへ長旅をします。&lt;br /&gt;　さびれた村ベツレヘムには旅行中のヨセフとマリアが泊まれる場所がありませんでした。そんな中、ついにイエスが生まれ、マリアは生まれた赤ちゃんを飼い葉桶に寝かせました。飼い葉桶とは通常家畜小屋の中にあり、家畜のえさである草などを入れる容器です。生まれたばかりの赤ちゃんを入れるものではなく、汚れや傷のあるものだったはずです。それでも、神様から与えられる救い主イエスの生まれる場所としてあえて飼い葉桶が選ばれました。&lt;br /&gt;　これは、イエスがこの世界に生まれた目的と関係があります。イエスは、神さまに対して罪を犯し続ける人間を救うために、神さまから送られました。つまり、イエスは飼い葉桶のように汚く傷ついた私たちを赦し、癒すために、私たちのうちに来られたのです。あなたにとってイエスがお生まれになったことにどんな意味がありますか？&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-12-12T10:04:04+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-249.html">
    <title>学校礼拝（第３３回）～アドベント礼拝Ⅱ～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-249.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」　　　&lt;br /&gt;（マタイによる福音書　１章21節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今週は奨励のかわりに映画鑑賞を行いました。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-12-05T10:43:06+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-248.html">
    <title>学校礼拝（第３２回）～アドベント礼拝Ⅰ・賛美礼拝～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-248.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;マリアは言った。「わたしは主のはしためです。&lt;br /&gt;お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。&lt;br /&gt;（ルカによる福音書　１章38節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 導きを待つ 」（肥田　信長　宗教主任）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日から礼拝堂の雰囲気がいつもと異なっています。クリスマスツリーが飾られ、ロウソクが準備されています。４本準備されたロウソクの１本目に火が点けられています。このロウソクは、これからクリスマスに向けて、毎週１本ずつ点灯され、クリスマス礼拝の時には４本全てに火がともります。&lt;br /&gt;　イエス・キリストがこの世にお生まれになった時代は、ローマ帝国が大きな力を使ってたくさんの地域を支配していました。その支配は、強力なもので、重い税金を払わなければならない上に、強制労働もさせられるような状況でした。その苦しく辛い状況の中で、人々は、その状況を変えてくれる“救い主（メシヤ）”が生まれることを待ち望んでいたのです。&lt;br /&gt;　イエスの母マリアは、その苦しい時代の中で、処女でありながら子どもを身ごもったと天使から告げられます。この出来事は、結婚を前にして自分が妊娠したことを告げられたのですから、まだ若いマリアにとって信じられなかったものだと思われます。そのマリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」と天使の言葉を受け入れました。&lt;br /&gt;　信じられないような状況の中でも、自分自身が置かれた状況を受け入れ、行動に移さなければならないこともあります。辛いことが重なって、その状況を受け入れられないと悩むこともあります。それであったとしても導きを待って、それを受け入れて、行動に移すことによって、苦しみが成長の喜びへと変えられていくのです。私たちも、喜びに満ちたクリスマスへの導きを待ちつつ、心の準備も整えていきたいものです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-11-28T10:16:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-247.html">
    <title>学校礼拝（第３１回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-247.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」&lt;br /&gt;（ マタイによる福音書 22章39節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 人と人とのつながりを考える 」（石橋　紀彦　先生）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　大学の推薦試験対策の面接の練習。「とわの森三愛高校はどのような学校ですか？」本校についての質問をするとき、生徒はほとんど全員が「キリスト教主義の学校です」と答える。そこで、質問者（私）はさらに深くつっこんで「三愛精神」について聞いてみる。昔は答えられない生徒が多かったが、最近の生徒はきちんと答えられることが増えた気がする。良い傾向だと思う。（今年はどうなんだろう？） &lt;br /&gt;　その練習の際に言うことだが、三愛精神は順序が大切で、①神を愛し、②人を愛し、③土を愛する、の順番だ。生徒は、この順序がいい加減なことが多いので気をつけたい。この聖書箇所はその①と②の話だ。 &lt;br /&gt;　「隣人を自分自身のように愛する」ことは本当に難しい。自分自身のように愛すると言うことは、まず自分自身を正しく愛さなければならない。自分自身を正しく愛せないのに隣人を愛することはできない。自分を愛するということを「わがままを通すこと」と勘違いしている人も多い。 &lt;br /&gt;　その上で、隣人を愛することができるのだが、まず、隣人を愛するためには隣人のことを知ろうとする姿勢が大切である。人との関わりの大前提となるこれらのことについて少し考えてみたい。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-11-21T10:40:46+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-246.html">
    <title>学校礼拝（第３０回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-246.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 」&lt;br /&gt;（ ヨハネによる福音書 １章５節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 あなたの苦しい時にこそ、光はある 」&lt;br /&gt;（松村　さおり　札幌北光教会牧師）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最近、漫画『ONE PEACE』にはまっています。ストーリーに引き込まれ、なかなか本をおくことができず、睡眠時間を削りながら毎晩読んでいます。海賊王になるという夢を持った主人公とその仲間たちが航海し、各地で事件に巻き込まれ、試練にあいながらも成長していくというストーリーです。&lt;br /&gt;　魅力的なキャラクター、胸を熱くするストーリーなど、この漫画の魅力はたくさんあると思うのですが、私が好きなのは、どんな困難な現状にあっても、主人公やその仲間たちがニカッと笑うところです。敵に囲まれても、脱出不可能な状況でも、絶体絶命の大ピンチでも、彼らはニカッと笑うのです。その笑顔に読んでいるこちらがほっとしたり、励まされたりします。&lt;br /&gt;　困難にあう時、私たちは笑えるでしょうか。たとえば自分の無力さが嫌になる時、どうしても許せないことが起こる時、私たちは眉間にしわを寄せ、口を曲げています。けれども、聖書は、困難に遭う時にこそ神様を信じて、前を向いて生きていく、そんな生き方をしようと言います。「光は暗闇の中で輝いている」、それは苦しい状況の中で、前を向き、ニカッと笑うことかもしれません。それで、状況が改善するわけではないでしょう。周りはどうして笑っているのか不思議がるかもしれません。けれども、その笑顔が今自分と同じように困難にあっている人の大きな励ましになるのではないでしょうか。&lt;br /&gt;　困難にあう度に、今この時こそニカッと笑おう、そう思っています。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-11-14T09:15:56+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-245.html">
    <title>【フードクリエイトコース】中華料理作りにチャレンジ！</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-245.html</link>
    <description>11月10日（木）フードクリエイトコースでは、&lt;br /&gt;光塩学園調理製菓専門学校の先生をお招きして、特別授業を行いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今回は、&lt;span class="red"&gt;「中華料理」&lt;/span&gt;を作ることに・・・。&lt;br /&gt;メニューは&lt;span class="red"&gt;「水餃子と鶏もも肉と農園野菜のピリ辛炒め」&lt;/span&gt;です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;1年生、2年生がそれぞれ調理実習にチャレンジしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;↓その時の様子は「フードクリエイト日記」でご覧下さい。↓&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.san-ai.ed.jp/foodblog/" target="_blank"&gt;http://www.san-ai.ed.jp/foodblog/&lt;/a&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-11-13T16:38:39+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-244.html">
    <title>学校礼拝（第２９回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-244.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 主を畏れることは知恵の初め。&lt;br /&gt;無知な者は知恵をも諭しをも侮る。 」&lt;br /&gt;（ 箴言 １章７節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 知恵の初め 」（榮　忍　学校長）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　聖書から語ることは、常に難題です。これは、聖書の研究発表ではありません。神をほめたたえ、神の守りや導きに感謝し、祈る「礼拝」の中で、神の声を聞くために、聖書を伝えるのです。真摯に問わなければなりません。聖書を題材に語ろうとしながら、いつの間にか聖書に捉えられる、という経験をするものです。&lt;br /&gt;　教会では「今日、与えられた聖書箇所」という表現が良く用いられます。毎週、順に聖書を追っていく選び方をしても、牧師や語り手が自分の決断で選んでも「その日に、神から与えられ、示された聖書の箇所」として受け止める思いの表れです。わたしたちは、自分の側の決断として能動的に事柄を操ることができると思っていて、実際は受動的に事柄を受け容れることを求められるのです。&lt;br /&gt;　「箴言」は、格言集です。ソロモン王が語ったとされ、様々な人生訓を含みます。その冒頭部分で、すべてに先立って「主（神）を畏れること」が大切だ、と語られます。本校で礼拝が最も大切な時間、と繰り返し語られる原点がここにあります。&lt;br /&gt;　どんなに知識が豊富でも、機知に富んでいても、話術が巧みでも、この原点が見失われると、言葉は空虚なものとなるのです。「畏れる」は、「畏まって緊張している様子」です。神を畏れる事を知れば、高ぶって他者を見下すこともなく、互いを高めるために、その力を尽くすことが当然なものとなります。&lt;br /&gt;　しなければならないのではなく、そうせざるを得なくなる心の動きの原点を知ってほしいのです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-11-07T09:46:16+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-243.html">
    <title>機農コース1年生・毎日農業記録賞高校部門で優秀・特別賞</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-243.html</link>
    <description>11月5日（土）毎日農業記録賞（毎日新聞社主催）の受賞作品の発表があり、&lt;br /&gt;アグリクリエイト科機農コース1年の佐藤駿が、&lt;br /&gt;毎日農業記録賞・高校生部門で&lt;span class="red"&gt;優秀・特別賞（全国）&lt;/span&gt;を受賞しました。&lt;br /&gt;受賞作のタイトルは&lt;span class="blue"&gt;「一笑懸命～ゼロからのスタート」&lt;/span&gt;です。&lt;br /&gt;11月5日（土）の毎日新聞朝刊「ひと」の欄で紹介されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20111105k0000m070130000c.html" target="_blank"&gt;http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20111105k0000m070130000c.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、生徒2名と教員1名が北海道地区でそれぞれ入賞しました。&lt;br /&gt;　三村恵里（酪農経営科３年）「これが私の生きる道。」&lt;br /&gt;　三村憲二（機農コース２年）「『輝く未来を信じて』兄弟と共に切り開く体験牧場」&lt;br /&gt;　八木啓太（教員）「震災と向き合う～農業を担う子どもたちに夢を」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;↓詳細は、毎日新聞社のwebページをご覧下さい。↓&lt;br /&gt;&lt;a href="http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20111105ddlk01040273000c.html" target="_blank"&gt;http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20111105ddlk01040273000c.html&lt;/a&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-11-05T10:36:39+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-242.html">
    <title>学校礼拝（第２８回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-242.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。 」&lt;br /&gt;(ルカによる福音書　6章46節)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; 「 あなたの土台は何ですか？ 」（大光　慎太郎　先生）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今日の聖書は、イエス・キリストが「家と土台」を例えにして話された箇所です。神様の言うことを聞き、それに従って行動するものは、しっかりした土台の上に家を建てるようなものであり、反対に、神様の言うことを聞かず、従うこともしないものは土台無しで家を建てるようなものだという話です。どんなことにおいても、土台となるものがしっかりしていないと、うわべだけを整えても簡単に崩れるのです。&lt;br /&gt;　聖書ではこれを「自分の生き方」について語っています。私たちの人生は楽しいこと、嬉しいことばかりではありません。困ったこと、苦しいことも起こります。人それぞれ内容は違えども、乗り越えなければならない試練が待っています。しかし、聖書では神様を土台として生きていけば、たとえ困難があってもしっかり乗り越えることができるということを示しているのです。&lt;br /&gt;　皆さんは何を土台にして生きていますか。これからの長い人生の中で、自分の力ではどうすることもできないことが起こるかもしれません。たとえそれがいつ起きようとも、その内容が何であろうと、その時は自分の力だけで解決しようとしないで下さい。とわの森三愛高校の礼拝を通して聞いた話を思い出しても良いし、聖書を読んでみても良いし、お祈りをしてみても良いし、教会に行ってみても良いでしょう。ただ、心から素直な気持ちで神様を求め、その言葉に従ってみるなら、神様は必ず皆さんの力となって助けてくれることでしょう。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-31T09:35:34+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-240.html">
    <title>学校礼拝（第２７回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-240.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。』 」&lt;br /&gt;( 使徒言行録　10章15節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 殻を破る 」（榮　忍　学校長）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　先週水曜日から、二年生普通科は５コースそれぞれの研修旅行に出かけました。コースごとに、土曜、日曜と帰着し、最後のコースが今日の昼に帰って来ます。良い経験と学びが深められることを祈ります。&lt;br /&gt;　さて、人生は「旅」に例えられることがあります。それぞれの経験が、新たな局面に出会いながら視野を広げていくことが求められるからです。わたしたちは、自分の経験の内側に閉じこもりがちなのですが、そればかりでは成長も無いのです。&lt;br /&gt;　主イエスと出会い、その命に触れ、多くの事柄に目を開かれてきた弟子たちの筆頭格として挙げられるペトロは、まさに、自らの視野に変革を迫られ続けた人物です。イエスの十字架刑の際には、周囲の確認に「イエスなど知らない」と否定し、自信を打ち砕かれたこともありました。その後、復活の主イエスとの出会いによって、初代の教会の指導者として活躍をしたのですが、今日の箇所は、その最中での事柄を示しています。&lt;br /&gt;　幼い頃から身に着いている「食べ物」の清浄規定に関わる判断です。口にすることを避け続けてきたものを、神から食べるように求められた際の、やり取りです。神からの求めよりも、自分の経験的判断を優先し拒絶するペトロですが、ここからメッセージを読み取り、民族内にとどまっていた視野を、外国・異民族に向けることを受け容れていくのです。&lt;br /&gt;　わたしたちにも、神は、「狭い経験にとどまらず、世界に羽ばたくこと」を求めているのではないでしょうか。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-24T09:21:35+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-239.html">
    <title>バドミントン「日本ユニシス」が本校体育館で練習</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-239.html</link>
    <description>10月15日午後、本校体育館にてバドミントンの実業団チーム「日本ユニシス」の選手（男・女）が練習を行いました。&lt;br /&gt;潮田玲子選手も来られ、本校女子バドミントン部員は練習の様子を真剣に見ていました。</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-17T13:45:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-238.html">
    <title>学校礼拝（第２６回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-238.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」&lt;br /&gt;(ルカによる福音書　10章41-42節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 必要なことはただ一つ 」（朴　美愛　酪農学園大学教授）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　現代人がよく使う言葉の中で“忙しい”があります。忙しいので早く、早くしなければなりません。科学が発展し、いろいろなものが発明されて便利な時代に生活しているので余裕があるようなのになぜか皆が忙しいのです。&lt;br /&gt;　これは漢字の面白さだと思いますが、漢字を見ると“忙しい”という言葉は“心”が“亡くなる”との意味があります。忙しくなると心が亡くなって、周りを見る余裕もなくなります。忙しくなると何か好意で始めたことでも喜びよりはかえて不平を言ってしまう場合があります。&lt;br /&gt;　今日の聖書はイエス様と一緒に活動してきたマルタとマリア姉妹の話です。ある日、マルタはイエス様を迎えていろいろともてなしのために立ち働きました。しかし、妹のマリアはイエス様の足もとに座って、イエス様の話に聞き入っていたのです。マルタは自分が忙しくしているのに手伝ってくれない妹マリアに対してイエス様に“手伝ってくれるようにおっしゃってください”と頼みました。イエス様の反応は、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。」と言ったのです。マリアが選んだのはイエス様の話を聞くことでした。&lt;br /&gt;　私たちはいつも何かを選択しなければなりません。実は、いつも何かを選択しています。それと、同時に自分が選択したことには責任を持たなければなりません。何かを選択するときは優先順位があります。皆さんは何が優先順位になりますか。今、ここで、必要なことは何でしょう。必要なことは、ただ一つだけなのです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-17T10:23:01+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-236.html">
    <title>【獣医進学コース1年】道内研修旅行に行きました！</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-236.html</link>
    <description>10月4日（火）～6日（木）、&lt;span class="blue"&gt;獣医進学コース1年生&lt;/span&gt;は、2泊3日の道内研修旅行に行って来ました。&lt;br /&gt;昨年に引き続き、半数が道外出身者のコースでもあるので、&lt;br /&gt;北海道内で獣医師が活躍している施設を訪問して回りました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年度、訪問した主な研修施設は、&lt;br /&gt;&lt;span class="blue"&gt;　千歳のさけますセンター&lt;br /&gt;　新得の畜産試験場&lt;br /&gt;　東京大学演習林&lt;br /&gt;　鹿追の家畜診療所&lt;br /&gt;　旭山動物園&lt;/span&gt;　などです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どの施設にも、酪農学園大学獣医学部の卒業生が複数名働いており、獣医師を目指す後輩たちのためにサポートして下さいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="red"&gt;鹿追の家畜診療所&lt;/span&gt;では、２頭の牛の手術の様子を間近で見させていただきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;宿泊先のホテルでは、&lt;span class="red"&gt;旭山動物園の坂東園長&lt;/span&gt;（酪農大獣医OB）の講演会も開かれ、獣医師を目指す後輩たちにむけて、お話を頂戴しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、翌日の旭山動物園では、獣医進学コースの生徒のために坂東園長が直々に出迎えて下さいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;獣医師を目指す高校生にとって、有意義な3日間となりました。&lt;br /&gt;なお、獣医進学コース2年生は10月19日（水）～23日（日）に、沖縄での研修旅行が予定されております。</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-12T13:57:19+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-235.html">
    <title>【フードクリエイトコース1年】スイーツコンテスト！</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-235.html</link>
    <description>フードクリエイトコース１年生の授業「トータルフードⅠ」で、&lt;br /&gt;収穫したかぼちゃを使って簡単スイーツで盛りつけコンテストを行いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分たちが育てた農作物を加工するフードクリエイトコースならではの実習授業です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;↓詳しくは、「フードクリエイト日記」をご覧下さい。↓&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.san-ai.ed.jp/foodblog/" target="_blank"&gt;http://www.san-ai.ed.jp/foodblog/&lt;/a&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-12T13:49:33+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-237.html">
    <title>球技大会が行われました！</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-237.html</link>
    <description>9月21日22日に生徒会行事の球技大会が行われました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;各競技ともに白熱した試合が展開され、応援にも力が入っていました。</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-12T12:07:03+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-241.html">
    <title>学校礼拝（第２５回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-241.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「神は見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています 」&lt;br /&gt;(コリントの信徒への手紙Ⅰ　１２章24～25節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 全てが大切な一部分 」（肥田　信長　宗教主任）&lt;br /&gt;　　　　　　　　 　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　自分の体の部分の中でどこか自信のある部分はありますか？逆に自分の自信のない部分はどこでしょうか？最近見たくもないものが職員室の机の上に置いてありました。それは、健康診断の結果です。最近自分自身でも体に無理をしているだろうなと思っていたのですが、考えていた以上の結果が出ていました。&lt;br /&gt;　高校生の時はレスリングをしていたからか、体は引き締まって、体力も有り余るほどでした。しかし、最近は体重も順調に増え続け、高校生の時の親友とこの夏休みに会った時には「どこのおっさんが歩いてきたのかと思ったで！」と言われてしまうほどになってきています。&lt;br /&gt;　自分の体の中で、見劣りする部分は誰にでもあるものです。今はないと思っていても、年をとっていくと必ず出てきます。見劣りのする部分であっても、なくなると困ってしまう自分の体のかけがえのない一部分であることに違いがありません。自分の目だけが好きだからと言っても、目ばかりでできた体では生きていくことはできないのです。&lt;br /&gt;　クラスの中や社会で、好きな人ばかりの集団の中だけで一生過ごしていくことはできません。自分の嫌いだと思っている人に協力したり、その人に助けてもらわなければ動きが取れなくなってしまう場面が必ず出てきます。自分の事ばかりに目を向けるのではなく、弱い立場に置かれている人の立場にも立って、物事を考え行動する中で、配慮できる人として生きていきたいものです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-11T12:01:25+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-234.html">
    <title>学校礼拝（第２４回）～２０周年記念礼拝～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-234.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私たちは、四方から苦しまれても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。 」&lt;br /&gt;(コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章８,9節)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 出来ることから目をそらすな 」（村山　昭二　前校長）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　創立者黒澤先生は、１７歳の時に逮捕され、群馬県前橋刑務所に６ヶ月入れられました。それは足尾銅山鉱毒事件で川や田畑が汚染され、苦しんでいる農民を救済するために、諦めたり泣き寝入りしないで反対行動に参加しようと、農民の家を訪問した時に「家宅侵入罪」で逮捕されたのです。&lt;br /&gt;　刑務所暮らしについての資料は残されていませんが、二つだけ手掛かりがあります。&lt;br /&gt;一つは、キリスト者の潮田千勢子氏より、聖書が差し入れされたことです。&lt;br /&gt;　二つ目は、晩年の短歌に、「鉱毒の民救わんと獄(ひとや)にて、六月過ごし大きく育つ」があります。&lt;br /&gt;聖書には、無罪のイエス・キリストが国家権力により十字架にかけられたことが記されており、新約聖書の「～への手紙」のいくつかが獄中のパウロからの手紙であります。&lt;br /&gt;　本日の聖句もパウロからコリントの教会に出された手紙の一節です。&lt;br /&gt;　黒澤青年は、刑務所に捕らえられている自分と無実の罪で十字架にかけられたイエス、獄中のパウロとに身近さを感じ、聖書を読み、今日の聖句に出会ったと思うのです。くじけそうな黒澤青年に大きな力と勇気が与えられたと想像できます。&lt;br /&gt;　この聖句は、黒澤先生の座右の銘（生きる上での座標軸）であったと、友人であった深澤吉平氏は語っています。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-10-03T09:40:29+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-233.html">
    <title>学校礼拝（第２３回）～収穫感謝礼拝～</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-233.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。 」&lt;br /&gt;( マタイによる福音書13章23節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 蒔かれた種 」（西川　謙　先生）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　実りの秋を迎え、美味しいものがたくさん手に入る季節となりました。この収穫物は秋になると何の苦労もなく棚から牡丹餅で得られるものではありません。一つ一つ丹精込めて作られたもので、たくさんの汗や涙の結晶です。米一粒でさえ育てるためには一年間という期間を費やす必要があります。それはどの生産物においても同様のことが言えます。その生産者の姿や料理してくれる人が自分のために割いてくれている時間を思うとき「ありがたい」という気持ちが自然と湧き上がってきます。&lt;br /&gt;　何一つ当たり前なことはありません。それに気付き、それを日々数えながら感謝して歩むとき、心で不満を抱く時間が減り、実際に自分が置かれている状況は変わらなくても、心が満たされる経験をすることができます。それが心耕された状況なのかもしれません。&lt;br /&gt;　部活の試合や試験でも良い結果を得るためには、そこへ至るまでの期間に、反復練習・反復学習が大事なのは皆さんの方が経験上よく分かっていることでしょう。心耕す作業も普段からの反復が重要で、意識してその思考回路を構築し、無意識に考えられるよう準備しておかないと、いつの間にか踏み固められてカチカチの何も育たない土になってしまいます。&lt;br /&gt;　皆さんの心には種が常に蒔かれています。それを生かすも殺すもあなた次第です。収穫が悪いことを他人のせいや環境のせいにするのではなく、収穫が良くなるように自分の心を耕しましょう。&lt;br /&gt;　人それぞれ大きさは違うかもしれませんが、チャンスは平等に与えられています。それを活かすことのできる準備は皆さんに整っていますか？&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-09-26T11:36:26+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-232.html">
    <title>学校礼拝（第２２回）</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-232.html</link>
    <description>&amp;lt;今週の聖句&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 盗んではならない。&lt;br /&gt;隣人に対して偽証してはならない。 」&lt;br /&gt;( 出エジプト記　２０章15～16節 )&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&amp;lt;今週の奨励&amp;gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「 やっていい事、悪い事 」（肥田　信長　宗教主任）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;             &lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　最近不思議に感じることがあります。私が小学生の頃におもちゃ屋さんに行くと、おもちゃを買ってもらいたくても買ってもらえなくて号泣している姿をよく見ました。しかし最近は、泣いている子どもを見る機会が少なくなったように感じます。&lt;br /&gt;　今は格差社会だと言われていても、以前と比べると物があふれ、豊かになっています。そして、自分が欲しかったものを手に入れやすい世の中になってきているように感じます。礼拝堂を掃除していると、毎日のようにペンや筆箱の落し物が見つかります。その落し物は、全てメディアセンターの前のケースに入れてあるのに、持ち主が探しに来ないからか、ケースの中はなかなか減る気配がありません。&lt;br /&gt;　この学校に勤める前に、窃盗（万引き）をしてしまった人の面談を担当したことがあります。窃盗をしてしまった人に、「どうしてしてしまったの？」と聞くと、必ず「悪いことだと分かっていたのですが…」との答えが返ってきます。今日の聖書の中には、『盗んではならない』『偽証（だますこと）してはならない』と教えられています。&lt;br /&gt;　何か欲しいものがあって、親にねだる時、「ほとんどの人が持っているから」という言葉を使ったことはないでしょうか。クラスの数人しか持っていなくても、そのような言葉でお願いした人もいるでしょう。この行為も、罪に当たるのだと聖書は教えています。私たちに与えられている、やっていい事なのか、悪い事なのか、判断できる力は、しっかりと使いこなして生きていかなければならないのです。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-09-20T10:12:20+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-231.html">
    <title>第１５回北海道総合畜産共進会</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-231.html</link>
    <description>　２０１１年９月３・４日、安平町にて第１５回北海道総合畜産共進会〔乳牛部門　出品頭数：ホルスタイン種４２９頭、ジャージー種４０頭〕が開催されました。&lt;br /&gt;　本校はオムラ　トワノモリ　エルフイン　ジエツト号が７部（ホルスタイン種後代検定娘牛２歳クラス）に出品しました。&lt;br /&gt;また、付帯行事のジュニアリードマン・コンテスト（高校生の部）では、三村憲二君（アグリクリエイト科機農コース２年生）が優勝しました。&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-09-16T11:35:46+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-230.html">
    <title>【フードクリエイトコース】幼稚園児とイモ掘り</title>
    <link>http://www.san-ai.ed.jp/towablog/article-230.html</link>
    <description>本日、フードクリエイトコース2年生は、幼稚園の園児と一緒に、ジャガイモ掘りをしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;収穫の時期を迎えたとわの森の畑で、生徒たちは幼稚園の子どもたちに、やさしくジャガイモの掘り方を教えていました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="green"&gt;↓詳細はフードクリエイト日記で↓&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.san-ai.ed.jp/foodblog/" target="_blank"&gt;http://www.san-ai.ed.jp/foodblog/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;</description>
    <dc:subject>トピックス</dc:subject>
    <dc:creator/>
    <dc:date>2011-09-15T16:05:37+09:00</dc:date>
  </item>
</rdf:RDF>

